8月10日(土)に行った「親と子」 についての対話メモです。次回は9月14日(土)に「家族」というテーマで対話します。
ブログ一覧
「男と女」について
7月13日(土)に行った「男と女」についての対話メモです。次回は8月10日(土)に「親と子」のテーマで対話します。
「生きづらさ」について
6月8日(土)に行った「生きづらさ」についての対話メモです。次回は7月13日(土)に「男と女」というテーマで対話します。
地方乃至地域は消滅するか
5月11日(土)に行った「地域乃至地域は消滅するか」についての対話メモです。次回は6月8日(土)に「生きずらさ」についてのテーマで対話します。
「欲望」について
4月13日(土)に行った「欲望について 」の対話メモです。次回は5月11日(土)のテーマは「地方乃至地域は消滅するか」です。
愛について
3月9日(土)に行った「愛について」の対話メモです。次回は3月23日(土)に「自分」というテーマで臨時開催し、4月13日(土)に「欲望について」通常開催いたします。
「自由」について
2月10日(土)に行った「自由」について の対話メモです。次回は、3月9日(土)午後1時30分から「愛」について対話します。
欲望と暴力について
1月28日に行った「欲望と暴力について」の対話メモです。次回は、2月10日(土)午後1時30分から「自由について」対話します。
「記憶」について
人はなぜ争うか
11月11日に行った「人間はなぜ争うか」 の対話メモです。次回は12月9日(土)午後1時30分から「記憶」について対話します。
居場所について
10月14日に行った「居場所について」の対話メモです。次回は11月11日(土)に「人はなぜ争うか」をテーマに対話します。
自分と他人(自己と他者)について
9月9日に行った「自分と他人(自己と他者)」についての対話メモです。次回は10月14日(土)に午後1時30分から「居場所について」対話を行います。
「孤独」について
8月19日に行った「孤独」についての対話メモです。次回は9月8日(土)に午後1時30分から「自分と他人(自己と他者)についてのテーマで対話を行います。
「考える」について
7月8日に行った「考える」についての対話メモです。次回は8月19日(土)に午後1時30分から「孤独」についてのテーマで行います。
「苦悩」について
6月10日の「苦悩」についての対話メモです。次回は7月8日午後1時30分から「考える」とは?のテーマで対話します。
「生命(いのち、せいめい)」について
5月13日の「生命(いのち、せいめい)」 についての対話メモです。次回は6月10日午後1時30分から「苦悩」について対話します。
「教育」について
3月11日に行った「教育について」の対話メモです。ご参照ください。次回5月13日(土)午後2時から「生命」について対話します。
「格差」について
2月11日に行った「格差」 についての対話メモです。ご参照ください。次回は3月11日(土)午後2時から、いままでの場所で行います。
「正しい」ということについて
1月14日に行った「正しい」とはについての対話メモです。ご参照ください。次回は2月11日(土)に「格差」について対話します。
青木島遊園地問題について考える
12月25日に臨時に行った青木島遊園地問題について考えるの対話メモです。ご参照ください。
humanbeing2(人と人との関係をめぐって)
12月10日(土)に行ったhumanbeing2(人と人との関係をめぐって)の対話のメモです。ご参照ください。次回は1月14日(土)に「正しい」とはで対話します。
humanbeing1(人間あるいは人間存在)について
11月12日(土)に行ったhumanbeing(人間あるいは人間存在) の対話メモです。ご参照ください。次回は12月10日(土)にhumanbeingその2(人と人との関係をめぐって)で対話します。
「国家」について
「志(こころざし)」について
9月10日(土)に行った「志(こころざし)」 についての対話メモです。ご参照ください。
次回は10月8日(土)「国(国家)について」対話します。
「恋愛」について
「背骨となるものは何か?」の問いについて
ややわかりにくいテーマである。そこでどういう問いなのかを少し捏ねてみると、自分の「価値」と感ずるものは何かということになるだろう。この場合の価値は、ソクラテスの求めた「真、善、美」のようなものであり、それを求めていろんなことをする、行為するときの規範のようなものになるのだろうか。
だが、日本に生まれ育った者としてはピンとこない。どちらかというと、心の底に、「もっと確かな生き方をしたい」という願いがあり、自分は「煩悩具足」で、「迷い」の世界をさまよっているという感覚がある。その意味での「確かな、背骨となるもの」を求めるという問い方になってくるような気がする。
やや宗教的な問いとも言える。根源的な問いのひとつではあるが。
「幸せ」について
6月11日(土)に行った「幸せ」についての対話メモです。ご参照ください。
次回は7月9日(土)午後2時から「背骨としていることは何か?」について対話します。
「働く」について
5月14日(土)に行った「働く」 についての対話メモです。ご参照ください。
次回は6月11日(土)午後2時から「幸せ」について対話します。
「人にとって音楽とは?」について
4月9日(土)に行った「人にとって音楽とは?」 の対話メモです。ご参照ください。次回は5月14日(土)午後2時から「働く」について対話します。
「失うもの(喪失)」について
3月12日(土)には「失うもの(喪失)」 のテーマで対話しました。ロシアのウクライナ侵攻(侵略)の衝撃が強く、そのことに話しが集中しました。メモは難しいのですが、梟の見解を含めたノートにしておきました。
次回は4月9日(土)に「人間にとって音楽とは」のテーマで対話しますので、お越しください。
豆まきのこと
昨日は節分会ということで、ささやかながら殻付きの豆をまいて、食べた。
今年は見られないが、保育園などで鬼が出てきて豆をぶつけられて退散するという映像がかつてはテレビで流れていた。鬼とは架空のイメージで人の心を表すものだと言われている。
たまたま「鶴の恩返し」という伝説を思い出した。与ひょうは矢で射られた鶴を見つけ助けた。すると美しい女が現れ妻にしてほしいと言い、妻にする(つう)。つうは「機を織っているところを決して覗いてみないこと」と与ひょうに約束を課し、見事な反物を織る(鶴の千羽織)。その反物を知り合いの運ずと惣ずを介して売ると高値で売れ、与ひょうはけしかけられてつうにさらに反物を織るようお願いする。仕方なく反物を織るつうの姿を、惣どと運ず、さらには与ひょうも約束を破って覗いてしまう。そこには自らの羽をむしり反物を織る鶴の姿があり、与ひょうは「鶴だ、鶴だ」と叫んでしまう。姿を見られたつうは傷ついた姿で空に帰っていった。というあらすじだ。
最初、与ひょうは傷ついた鶴を、あわれだ、かわいそうだと思い、純粋な情をかけて助け、美しい妻つうをめとる。(福)しかし、与ひょうは鶴の千羽織を介して第三者の利害に巻き込まれてしまい、つうを追い詰め、裏を覗いて「鶴だ、鶴だ」と騒いでしまう。結局、鶴という異類(異質なもの)は与ひょうの心の深層にあった鬼だったのだ。人情に棲んでいる鬼でもある。
福であれ鬼であれ同じ私の心に生まれ棲むもの。鬼だけ目の敵にして排除するというのもおかしなもので、鬼の正体を知ってやさしく受け入れてやるものではないか。・・・などということを考えたのです。きたやまおさむ氏の『ハブられても生き残るための深層心理学』をちょうど読んでいるところでした。
「情」について
3月12日(土)午後2時~4時には、「失ったもの(喪失)」について語り合います。どうぞおいでください。