「背骨となるものは何か?」の問いについて

ややわかりにくいテーマである。そこでどういう問いなのかを少し捏ねてみると、自分の「価値」と感ずるものは何かということになるだろう。この場合の価値は、ソクラテスの求めた「真、善、美」のようなものであり、それを求めていろんなことをする、行為するときの規範のようなものになるのだろうか。

だが、日本に生まれ育った者としてはピンとこない。どちらかというと、心の底に、「もっと確かな生き方をしたい」という願いがあり、自分は「煩悩具足」で、「迷い」の世界をさまよっているという感覚がある。その意味での「確かな、背骨となるもの」を求めるという問い方になってくるような気がする。

やや宗教的な問いとも言える。根源的な問いのひとつではあるが。

 

2022年06月26日