豆まきのこと

 昨日は節分会ということで、ささやかながら殻付きの豆をまいて、食べた。

 今年は見られないが、保育園などで鬼が出てきて豆をぶつけられて退散するという映像がかつてはテレビで流れていた。鬼とは架空のイメージで人の心を表すものだと言われている。

 たまたま「鶴の恩返し」という伝説を思い出した。与ひょうは矢で射られた鶴を見つけ助けた。すると美しい女が現れ妻にしてほしいと言い、妻にする(つう)。つうは「機を織っているところを決して覗いてみないこと」と与ひょうに約束を課し、見事な反物を織る(鶴の千羽織)。その反物を知り合いの運ずと惣ずを介して売ると高値で売れ、与ひょうはけしかけられてつうにさらに反物を織るようお願いする。仕方なく反物を織るつうの姿を、惣どと運ず、さらには与ひょうも約束を破って覗いてしまう。そこには自らの羽をむしり反物を織る鶴の姿があり、与ひょうは「鶴だ、鶴だ」と叫んでしまう。姿を見られたつうは傷ついた姿で空に帰っていった。というあらすじだ。

 最初、与ひょうは傷ついた鶴を、あわれだ、かわいそうだと思い、純粋な情をかけて助け、美しい妻つうをめとる。(福)しかし、与ひょうは鶴の千羽織を介して第三者の利害に巻き込まれてしまい、つうを追い詰め、裏を覗いて「鶴だ、鶴だ」と騒いでしまう。結局、鶴という異類(異質なもの)は与ひょうの心の深層にあった鬼だったのだ。人情に棲んでいる鬼でもある。

 福であれ鬼であれ同じ私の心に生まれ棲むもの。鬼だけ目の敵にして排除するというのもおかしなもので、鬼の正体を知ってやさしく受け入れてやるものではないか。・・・などということを考えたのです。きたやまおさむ氏の『ハブられても生き残るための深層心理学』をちょうど読んでいるところでした。

 

2022年02月04日